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日漢協 ニューズレター 74号

(第25巻 第2号)2008年9月

巻頭言 さらなる漢方処方製剤の発展を願って

前参議院議員
藤井 基之

今年も後半に入り、波乱含みの政局が続いています。日漢協の皆様にはいつも熱い応援をいただき、心から感謝申しあげます。

さて、政局はともかく、医療、薬事の世界においても、近年は大変大きな変革や話題が続いています。その一つが、本年4月に施行となった後期高齢者医療制度です。同制度は、そのネーミングに対し、福田首相自らが“長寿医療制度”と別称を提案されるなど、大きな議論を呼びました。新制度は、確かに霞ヶ関の国民への広報のあり方に問題があったことは否定できませんが、高齢化が急速に進む中で、国民皆保険体制をこれからも守っていくためにはどうしたらいいのか、という国会での真剣な議論の末に生れたものです。新制度に反対であるのなら、ではどうすべきかという建設的な提案のない、揚げ足取りのようなマスコミ論調などを見聞きしますと、いかがなものかと思ってしまいます。

ところで、“高齢化”というと何か否定的に聞こえますが、高齢化は“長寿化”であり、誠に喜ばしいことであります。元気で長生きこそ、人間みんなの望みです。2200年前、中国全土を統一するという野望を達成した、あの秦の始皇帝は、“不老不死薬”を手に入れるために涙ぐましい努力をしたそうです。司馬遷の史記によれば、「はるか東海の島に、蓬莱・方丈・瀛洲(えいしゅう)という三神山があって、そこに住む仙人が不老不死の薬を持っている」というので、始皇帝は、徐福という人をその探索に派遣したと記録されています。その東海の島こそ日本列島のことで、徐福は3000人の男女を率いて日本にやってきたと伝えられ、今でも日本国中に徐福伝説が残っているそうです。結局、徐福は富士山、すなわち“不死山”に至りましたが、ここで死んでしまい、中国に帰ることはできなかったとか。

その中国から、飛鳥時代、仏教とともに伝えられた漢方医学は、わが国独自の発展を遂げてきました。明治期、西欧文明の導入を急ぐ時の政府の政策によって、不遇の時代もありましたが、今日では、漢方は、わが国国民医療の中にしっかりと定着しています。その漢方再生の一翼を担ったのが、漢方処方製剤であることはいうまでもありません。人が本来持っている、病気に対する自然治癒力を高め、身体を整えることを基本とするといわれる漢方処方は、高齢時代の今日に相応しい医療、医薬といえましょう。

来年から実施される医薬品販売制度においては、漢方処方製剤は第2類医薬品とされましたが、漢方処方製剤が、一人ひとりの証に合わせて使い分けされるものであり、同じ症状でも、証が違えば、当然、使用すべき漢方処方製剤も違ってくる、とすれば、薬剤師や登録販売者の方々によって、生活者に対する情報提供がしっかりと行われるよう期待します。

わが国で普及している漢方処方製剤は、厚生労働省の基準によって示された一般用漢方製剤210処方の範囲に限られていますが、現在、厚生労働省において見直しが進められていると聞いています。科学的医学的なしっかりとした根拠のもとに、さらに漢方処方製剤が発展普及することを願ってやみません。