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日漢協 ニューズレター 79号

(第27巻 第1号)2010年5月

巻頭言  漢方薬の凄さ怖さ

日本東洋医学会 会長
寺澤 捷年

私が漢方と本格的に取り組んで30年を経過した。その過程で、「漢方の凄さ」をいくつも体験した。ある患者さんは多発関節炎と慢性呼吸不全で、数年間、家から一歩も出歩けない状態であったが、漢方薬によって近くのスーパーマーケットに歩いて行けるまでになり、近所の方々は幽霊に出会った程に驚いた。これには後日談があって、漢方の威力を目の当たりにしたご近所の皆さんがマイクロバスを仕立てて大挙受診され、私の方がパニックに陥ったのであった。

また最近の経験では脳の視床梗塞のために右半身に激痛があり、様々な西洋医学的な治療によって年余に亘って、全く効果の無かった患者さんが入院され、疎経活血湯によって数日で全快した。

ところで、漢方治療によって「背筋の凍る思い」をしたことも数々ある。漢方薬による間質性肺炎は最も注意しなければならない重篤な副作用であるが、これに遭遇した経験には忸怩たる思いがある。この副作用は服薬開始後の数週間で起こることが多いが、私の経験した例は5日目であった。幸い早期に発見できたので事なきを得たが、レントゲン撮影した肺はまっ白で、こちらの頭の中もまっ白になってしまった。

また、便秘と腹部膨満感を訴える患者さんに麻子仁丸を処方したところ、経過順調であったが、ある年の年末にこの薬を服用しているにも拘わらず、数日間の便秘と腹痛を来した。そこで患者さんはご自身の判断で12月29日に近くの胃腸科を受診したところ、翌日(30日)に下部消化管内視鏡を施行して下さった。その結果は直腸癌で、新年早々の手術になり、現在もお元気である。ことの顛末を聞いて私は慄然とした。訴訟を起こされれば、私の注意義務違反は免れず敗訴は明らかである。

これとは逆に私の手柄もある。痔疾ということで近くの薬局から乙字湯を購入し、年余に亘って服用していたが、次第に出血が増悪するとのことで私を受診した。念のために下部消化管内視鏡検査を行ったところ、直腸癌が見つかった。幸い手遅れにならず手術で全快した。たかが便秘されど便秘。たかが痔疾されど痔疾。安易に考えていると、とんでも無いことになる。

先年の「事業仕分け」で漢方製剤の保険外し問題が起こったが、漢方薬は医師の監視下、もしくは薬剤師と医師の緊密な連携の下に運用されるべきものと確信している。この問題が起こった際に「保険外し」を歓迎する薬局筋からの談話がマスコミで報じられたが、実に不愉快であった。なぜなら漢方薬の有効性を客観的に証明するエビデンスは一体誰が苦労して作り上げているのだろうか。そして、この様な苦労の結果が国民の漢方薬への信頼の根拠にもなっている。その成果の恩恵に浴しながら、医療の場から治療手段を奪い、自らの利益だけを追求するのは言語道断である。一体、医療というものを何と心得ているのか。

私は医師と薬剤師の対立関係の中で保険問題を捕らえたくない。あくまで相互の立場を尊重し、漢方治療の協調的な発展を望みたいのである。国民の皆さんは賢い。これは薬局で相談して漢方薬を求めよう、これは医師にかかって漢方薬を処方して貰った方がよいと適切に判断されている。これはいわば日本の文化である。

この文化を大切に、そして誤り無きよう、伝統的な叡智を医薬協調の下に提供することが正しい道であると私は信じている。