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日漢協 ニューズレター 90号

(第30巻 第3号)2014年1月

トピックス


私の健康法  映画監督 金聖雄(キムソンウン)さん
なるようになる

●ドキュメンタリー映画の旗手


プロフィール
1963年6月7日、大阪、鶴橋に生まれる。大阪の大学を卒業後、(株)リクルート勤務。1年間のサラリーマン生活を経て、商売をはじめるが失敗。“何かやりたい”“出来るんだ”と言う思いを胸にくすぶらせながら、“愛する人”を追いかけて東京へ…。
1988年〜90年まで吉森写真事務所にて料理写真家の助手を務める。1990年フリーの助監督となり、ドキュメンタリー演出家の呉徳洙、伊勢真一などの作品に参加。1993年以降、フリーランスの構成・編集・監督として多く の作品を手がけ、現在に至る。
「若かりし頃なんとなく映像の世界に迷い込み、今やどっぷりとつかってしまったええかげんな映像職人。2004年にはドキュメンタリー映画「花はんめ」を監督。テレビ番組など作りつつその枠にとらわれず人間的に魅力的な人たちを追い続ける」
これは金聖雄監督のツイッターの表紙に記された自己紹介の一文であり、金氏の人となりが如実に示されている。
映像職人金監督が魅力的な人間として3年間追い続け、昨秋に封切られた作品が「SAYAMAみえない手錠をはずすまで」。現在、全国で自主上映会が催されるとともに、新聞や週刊誌などマスコミにも取り上げられ、大きな反響を呼んでいる。
金氏にとって3作目となるこの映画では、50年前に埼玉県で起きた狭山事件で、被差別部落出身とのことから被告とされ、32年の獄中生活を強いられた74歳になる石川一雄さんと、夫人の早智子さん夫妻が無実を訴え続ける姿が描かれている。
あってはならない差別、冤罪という重いテーマを単に糾弾するのではなく、殺人犯というレッテルを背負いながらも泣き笑い、怒り、日々を凛として生きる夫婦愛の物語で、ドキュメンタリー映画ならではの感動の渦が各地で広がっている。

●生薬の匂いの中で育った少年時代
金監督が生まれたのは奇しくも50年前、狭山事件が起こった年で、大阪の鶴橋で在日二世として呱呱の声をあげた。
「子供の頃、家に帰ると生薬の匂いが立ち込めていました。母が煎じていて、これのんだら大丈夫だよと言われ、毎日のようにのんでいました。風邪をひいたりした時はチョンシマン(清心丸)という韓方薬をのまされました。苦かったことを覚えています」
生薬由来のお薬を小さな時からのんでいたからなのか、定かではないが、これまで大きな病気をしたこともなく、ここ何年、寝込んだこともない。ただ、仕事柄不規則なうえ、食べたり、飲んだりが好きで、時に暴飲暴食することがあり、痛風を抱えているそうだ。
健康法としては痛風対策も兼ねて水を毎日2 リットルほど飲むことの他、特に行っていることはない。幼馴染の奥さんが食のライターということもあり、オーガニックに拘っている。
「家では野菜は有機野菜、そして玄米です。かみさんがそもそも子供のために始め、今でも続けています」
食べ物では納豆以外は好き嫌いがなく、風邪を引きそうになったら生姜を摂るなど、日頃から薬食同源を実践している。
「巨人と納豆だけはどうしてもダメで、アンチ巨人です。経済的には恵まれませんが、好きなことをやっているので健康なのかもしれませんね。なるようになるとの思いで、これまでなんとかやってきました」
子供の時に飲んで以来、昨今は生薬由来のお薬を服用することはないが、「自然のものを用いる漢方薬の考え方は理に叶っていますし、病気になってからではなく、未然に治療することが大事という考え方も好きです。口内炎の時、半夏瀉心湯でうがいをするとよく効くと聞きました。医薬品なのできまり(適正使用)があるそうですが、漢方の良さをより発揮できる使用方法はないのでしょうか」