漢方・生薬情報
ストレスと漢方―ストレスと上手に付き合うために―
東京女子医科大学附属東洋医学研究所 久米 由美 先生
第9回 日漢協・市民公開漢方セミナー 平成18年4月13日(木)
はじめに
現代はストレスフルな社会と言われています。機械化やコンピュータの普及に伴うめまぐるしい技術の進歩、 情報の洪水、価値観の多様化、あるいは受験戦争、少子高齢社会の問題など、職場、家庭、学校、地域など社会 生活を営む上で生じるさまざまなストレスが溢れています。現代社会に生きる人間は、こうした社会情勢 の変化への対応を強いられ、子どもから老人にいたるまで、かつては想像もできなかったさまざまなストレス にさらされているのです。
近年、ストレスが人間の身体や精神に大きな影響を及ぼすことは良く知られるようになりました。ストレス フルな環境のなかで心身の健康を維持していくためには、外部から絶えず加わるストレスにいかに的確に対処する かが重要な課題となってきます。その対策のひとつとして漢方の知恵を大いに活用してみてはいかがでしょう か。毎日を明るく過ごすために、この冊子がお役に立てれば幸いです。
ストレスを知ろう
ストレスってどんなもの?
私たちは「ストレス」という言葉を良く使いますが、ストレスとはいったいどのようなものなのでしょうか。手にゴムボールを持っている状態を思い浮かべてください。握るとゴムボールはへこみます。このように、外部からの刺激「ストレッサー」を受けることによって、生体に生じた歪みが「ストレス」なのです。最近は、刺激と歪みを含めてストレスと呼んでいます。
ストレスはどこにでもある
私たちが生活する環境には、さまざまなストレスが存在しています。病気や怪我、睡眠不足、不規則な生活など身体的なものから、家庭や職場の対人関係のような精神的なもの、広い意味では、空腹や飢餓、過労や睡眠不足、寒さや暑さ、気圧の変化、振動や騒音、有害な化学物質や大気汚染などもすべてストレス刺激なのです。このように、私たちは常にストレスとは切っても切れない生活を送っているということになるのです。
良いストレス、悪いストレス
ストレスと言うと悪者扱いされてしまいがちですが、必ずしも悪いものばかりとはかぎりません。ある程度のストレスがあったほうが緊張感が保たれて仕事や勉強の能率が上がりますし、やり遂げたあとの爽快感や達成感を十分に感じることができます。
たとえば、競技に臨むオリンピック選手には少なからずストレスがかかりますが、そのストレスがあるからこそミスをしないように緊張感をもって精一杯のプレーをしようとします。結果はどうであれ、プレーを終えたあとのすがすがしさは、ストレスがあったからこそ得られるものと言えるでしょう。
ストレスと心、身体
ストレスが身体に与える影響
ところで、ストレスが続いて血圧が上がったり、風邪をひきやすくなったり、女性の場合は月経が止まってしまった、という経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。このように、ストレスは心ばかりではなく、体調にも大きく影響します。
人間の身体には、
◆身体の働きを調整する「自律神経系」
◆ホルモン分泌をつかさどる「内分泌系」
◆外部の異物から身体を守る「免疫系」
という3つのシステムがあり、互いに連携を取り合うことによって健康を保つ「ホメオスタシス(生体恒常性)」という機能が備わっています。
◆身体の働きを調整する「自律神経系」
◆ホルモン分泌をつかさどる「内分泌系」
◆外部の異物から身体を守る「免疫系」
という3つのシステムがあり、互いに連携を取り合うことによって健康を保つ「ホメオスタシス(生体恒常性)」という機能が備わっています。
外部からストレスという刺激が加わると、それぞれのシステムが作動し、その時々に適した状態に身体を適応させるのです。たとえば、神経系のうちの自律神経系は各器官にストレス刺激に対応した反応を働きかけ、内分泌系は内分泌腺に働きかけてホルモンを血中に分泌させて身体のバランスを保とうとします。
一時的なストレスであれば、ホメオスタシスには大きな影響はありません。しかし、過度なストレスが長く続くと自律神経系のバランスが崩れ、ストレスに対するホルモンの防御力が限界を超えたり、免疫系の働きが低下するなどの状態に陥ります。これらの作用が重なりあった結果、ホメオスタシスはバランスを失い、心身のさまざまな病気を招くことになるのです。
たとえば、ストレスがかかって緊張すると血管が収縮して血圧が上がりますが、これはだれにでも日常的にあることで、しばらくすると血圧は下がり、血管も正常な状態に戻ります。しかし、ストレスが続くと血管の休む間がなくなり、徐々に血管壁が傷つき、ストレスが去っても血圧が下がらない状態になります。これが動脈硬化であり、高血圧です。もちろん高コレステロール、喫煙、加齢なども関係がありますが、ストレスは大きな原因のひとつと言って良いでしょう。
ストレスの感じ方は人によって違う
私達は生きているかぎり、ストレスをゼロにすることは困難です。しかし、ストレスから逃れられないのであれば、その影響でほとんどの人が心身を病んでしまうことになります。もちろん、現実にはそんなことはありません。なぜならストレスの感じ方は人それぞれ違っていて、同じ状況でストレスを受けても、その影響を受けやすい人と受けにくい人がいるからです。
たとえば面倒な残業を半分終えたところで、「もう半分も片付いた」とプラスに考えられる人もいれば、「まだ半分も残っている」とマイナスに感じる人もいるでしょう。また、仕事で同じストレスがかかっても、それをバネに力を発揮できる人がいる反面、負担に感じて実力を発揮できない人もいて、同じストレスが人によって良くも悪くもなるのです。
外出する、趣味を楽しむ、十分睡眠をとる、好きな音楽を聴くなど、自分なりの方法でストレス対策をしている方も多いことでしょう。ストレスによるマイナスの影響をより少なくし、ストレスと上手に付き合っていくことが大切です。
ストレス対策に漢方の知恵をとり入れよう
ストレスと上手に付き合っていくために、漢方は何ができるでしょうか。
漢方の考え方の基本は「心身一如」。心の問題も身体の症状もひとつ、と考えて治療をしていこうというものです。この考え方は、ストレスから病気が生じるメカニズムと合っているため、漢方を大いに活用することができます。
漢方の考え方の基本は「心身一如」。心の問題も身体の症状もひとつ、と考えて治療をしていこうというものです。この考え方は、ストレスから病気が生じるメカニズムと合っているため、漢方を大いに活用することができます。
漢方は身体全体を診る
西洋医学では臓器別に異常を探し出し、治療を行います。原因が明らかな病気には大変効果的ですが、ストレスに関連した症状のように、原因がひとつに絞れない、あるいは、はっきりしないようなケースでは、治療が難しくなってしまいます。たとえば、胃潰瘍という病気に対して薬を処方し、胃潰瘍を治すことはできます。しかし胃潰瘍の一因になっている、あるいは悪化させている「ストレス」まで解決することはできません。
一方、漢方では身体全体を診ることを基本にしています。心身のアンバランスが不調の一因になっていると考えて、身体全体を良い状態にすることで各々の症状も治してしまおうというのが漢方です。そのため、原因が特定しにくく、病態とのかかわりがはっきりしないストレスの治療には大変便利なのです。
「未病」の段階でケアを
漢方には「未病」と言う考え方があります。未病とは、病気と言うほどではないけれど健康とは言えない状態を指します。未病の段階では、いろいろな兆候はあるものの、検査をしても異常が見つからなかったり、取り立てて日常生活には支障がないので、危機感を抱いている人はあまり多くありません。そのため、つい無理を続けてしまいがちです。
しかし、身体に現れているさまざまな兆候は、「助けて!」という危険信号です。そのままにしておくと歪みは大きくなり、ちょっとしたことがきっかけで病気になってしまう危険もあります。心と身体に大きなトラブルが生じる前の未病の段階で予防をしていくことが大切なのです。
病気の治療とともに体調を整えることを大きな目的としている漢方薬は、未病のケアが得意。ひとつの症状を改善するばかりではなく、全身をベストな状態に導いてくれるのです。身体の調子が良くなれば、気持ちも前向きになるもの。何となく体調が悪いという段階で、早めに対策を立てるのが病気予防のポイントです。
気・血・水の乱れに注目
漢方では一人一人の体質や症状、精神状態をいろいろな尺度で把握して、それに合わせた漢方薬を処方します。尺度にはいくつかありますが、代表的なもののひとつが「気・血・水」の3要素です。
「気」とは、「元気」「気力」などの言葉から連想されるように、目に見えない生命エネルギーのこと。「血」とは血液とその働き、「水」は血液以外の水分とその働きを指します。
漢方では身体の中でこの「気・血・水」の3つが過不足なく保たれ、循環している状態を「健康」と考えているのです。
「気」とは、「元気」「気力」などの言葉から連想されるように、目に見えない生命エネルギーのこと。「血」とは血液とその働き、「水」は血液以外の水分とその働きを指します。
漢方では身体の中でこの「気・血・水」の3つが過不足なく保たれ、循環している状態を「健康」と考えているのです。
気・血・水のどれかが不足したり、滞ったりしてバランスが崩れると、体調は崩れます。たとえば「気」の場合、過度のストレスが加わることで、気の量が不足する「気虚」、気の流れが滞る「気うつ」、気が正常に分布しない「気逆」などが生じます。こうした気の異常は、さまざまな症状として心や身体に現れてくるのです。血や水の場合も同様で、それぞれが独立しているわけではなく、相互に影響を与え合っています。
個人に合った処方を選ぶ
そこで漢方では、気・血・水の足りない部分を補ったり、流れをスムーズにしたりすることで、心身のアンバランスを調整し、身体の機能を正常化させていきます。
さまざまな処方の中から、その人が困っている症状のほか、「証(漢方独自の体質)」などを参考に、その人に最も合った処方を選択していくのです。表はその一例です。
たとえば、憂うつや不安、不眠、イライラなど、主に精神症状が現れているような場合には、半夏厚朴湯や香蘇散を処方します。そのほか、胃腸が弱くて体力がない場合は六君子湯や柴胡桂枝湯など、頭痛やめまい、肩こりなどには葛根湯や半夏白朮天麻湯を処方します。また、気・血・水でいくつか症状が重なっているケースも多く、いずれも体質を見極めてどの歪みがどの程度強いかを判断し、処方を決定します。
【コラム】 西洋薬と漢方薬を併用するときは医師に相談を
ストレスと関連する病気のために、西洋薬を飲んでいる人は少なくありません。西洋薬と漢方薬の併用はある意味、理に叶った治 療でもあります。その理由は、漢方薬が併用している西洋薬の副作用を抑えたり、西洋薬で対症療法をしながら、漢方薬で体質そのものを改善する根本療法をする場合に、この両者を併用することが良くあるからです。
2種類以上の薬を併用する際に問題となるのは、それぞれの薬の効果が十分に現れなかったり、逆に薬効が増強されすぎてしまうなど、思わぬ現象が生じることです。漢方薬と西洋薬の併用では、このような心配はほとんどありませんが、なかには併用を避けたほうが良いケースがあります。どちらも同じ医師から処方してもらうか、それぞれの医師に薬の種類を伝え相談してください。
健康は自分で守ろう
「イライラして眠れない」「風邪をひきやすくなった」などの体調の変化に気づいていても、これくらいはなんでもないと無視し続けていないでしょうか。精神的に強そうに見える人が意外ともろいのは、自分のストレスを素直に認めようとしないために、極限状態まで頑張ってしまうからです。
ストレスのレベルを把握していれば、身体からの危険信号を見落としにくくなります。自分の生活をもう一度見つめ直すという意味では、まず自分のストレスを認めることが、ストレスを病気にしない第一歩です。
そして自分の健康維持に積極的に取り組むことも大切。食事や休養、生活リズム、運動など生活習慣全般について、受身ではなく自ら考え、努力することが必要でしょう。これこそ古くから漢方で言われてきた「養生」なのです。